トレーニング編⑤
『近すぎる距離が盲目にさせる』
訓練士を使わずに飼っている方がほとんどだと思いますが、「穏やかな性格に助けられている」「問題行動に気付いていない」ということも多々あります。
また、自宅では特に問題なく見えても他人から見たら困ったことだ、というのも少なくないでしょう。
私ですら基礎トレーニングは難しいので、この店でアドバイス程度はしますが、「こうすれば完璧になります。」というハッキリとした手法はお伝えできません。それは本業の訓練士がするべきことですし、相手が犬である以上「こうすれば完璧」という事を言い切れるはずもないとも思っています。
褒めるタイミングをミスると良くない意味に伝わってしまうことがあるんです。叱るというのも時には必要ですが、どうやって叱っているかをその犬に合わせて伝えるのが非常に難しいんです。
自分の家の犬ならずっと一緒にいるのでそのやり方を見つけ出せますが、他人の犬、ましてや月一しか会わない子は私には即座にどの手法を使うべきか判断しかねます。
訓練士のようにきちんとは行かないかもしれませんが、私でも自分の家の犬(柴犬のお銀)はコマンドが入っています。マテフセスワレコイに加え、独自のものですが「ボール」「ヘリコプター(笑)」「クグレ」なども若いころはバッチリでしたよ。
その犬がどう受け取るか、どう伝えるべきか、何よりも「どう考えさせるか」が何より重要なんです。一般の方が「訓練」「トレーニング」と聞いて勘違いしやすいのは「教え込む」と思っている所。
違うんです。「考えさせる」ことがトレーニングであって、犬が自ら考えた結果正しい場合に褒めるんです。だから褒められた時が嬉しいんです。
お手とかお座りとか、流れ作業のように勝手にやる犬いますよね。悪いことじゃないですけど、それは順番変えても出来ますか?出来ない場合は、コマンドではなく「こうして次はこうでええんやろ?はよ食いモンよこせや」みたいなもんです。こ憎たらしい…(けどそれが可愛いんですよねわかりますめっちゃ分かりますそれが柴犬ならもう最高にかわいい萌え死ぬってこういうことですねわかりますってレベル)
じゃあ、なんなの全ての犬が訓練士を使っていけというの?
と聞かれたら「なるべくそういう社会であって欲しい」とは思いますが、最低限、近隣への迷惑になっているなどの事が無いような子にしてあげて欲しいと思います。
全ての人間が犬が好きというわけではありませんから、お互いに気持ちよく過ごせるためには「うちの子は大丈夫」「この程度で文句言ってこないで」のような自分定規の盲目ではなく、俯瞰して「自分たち犬好きは、特別な生活をしている」としっかり理解して必要なトレーニングはしっかり行うべきだと思います。
例えばトイレ。散歩をトイレだと思っている方は多いと思います。しかし、犬を飼っている人でさえ、自宅前にオシッコをかけられていたり、糞の放置があれば嫌ですよね。
犬を飼って居なかったり、嫌いな人にとっては怒りが抑えられないということはトレーニング編の書き出しで書いた通りです。
トイレは必ず家。散歩は散歩。
それでも人間ではないのですから、してしまう事もあるでしょう。私ももう庭でしっかり出したからと思って散歩に出ても、オシッコやうんちをされて驚くことがあります(オシッコの体勢であっても、出ずに形だけだろうと思って、その儀式くらいさせてやろうと思っているので)
ですから誰が見ても分かりやすいようにポリ袋をちょびっと出したポーチを付けて持ち歩いたり、水を持ち歩いたりしてもしも粗相があった時には最低限のマナーは持ち歩いていますアピールをしています。
それでも注意されれば謝るしかありません。犬を飼うということは、そういう事だと思っています。
では、今回はここまでにします。